消防士、救急救命士の仲間へ心をこめた退職記念品
誕生日プレゼント、還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿など賀寿のお祝い、金婚式、結婚記念日の贈り物に、消防関係の絵と詩(ポエム)で綴るオンリーワンプレゼントです。


4種類の額よりお選びください
優美な木目の額(中)
25,300円(税込)
外寸:487×337×25(mm)
重さ:1.2 (kg)
詩にするお名前文字数 : 9文字まで≪優美な木目の額≫
天然木の木目の美しさと色合いに個性を醸し出す優美な額は、それぞれの木目を活かした逸品です。
吟味した天然木をアルプスの麓、長野は木祖村で一つ一つ手作りしています。
(外寸:487m×337mm×25mm、重さ:1.2kg)※色味、木目は一点一点に表情豊かな違いがあります。
赤枠の額(中)
23,100円(税込)
外寸:490×340×15(mm)
重さ:1.5 (kg)
詩にするお名前文字数 : 9文字まで≪赤枠の額≫
光沢を抑えた重厚感のある赤色です。額縁が5cmと幅が広く、名前の詩額が目に飛び込んでくる存在感があります。
ポリウレタン樹脂コーティングをしており汚れに強くお手入れも簡単です。
(外寸:490 × 340 × 15mm、重さ:1.5kg)光の反射を抑えた、奥深い赤色!
高級感があり、還暦祝いに最適です。
木枠の額(中)
18,700円(税込)
外寸:460×310×17(mm)
重さ:0.8 (kg)
詩にするお名前文字数 : 9文字まで≪木枠の額≫
額メーカーに特別注文で作っていただいているオリジナルの額。名前の詩の人気商品!!
和室、洋室どんな部屋にも合う、落ち着いた表情の木地が温かい感じを醸しだす額絵です。
(外寸:460 × 310 × 17mm、重さ:0.8kg)天然木を使用しています。
木目を生かしており、温かい雰囲気の額です。
消防士退職記念こだわりのプレゼント専門店では、一緒に地域を守って来た消防士や消防団員の方へ、消防車や消防にまつわる道具の絵と、お名前を詩にして手描きする、名入れ対応可能な、世界に一つ、オンリーワンのプレゼントを販売しています。
還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿など賀寿のお祝い、金婚式、結婚記念日の贈り物、そして表彰や祝賀の記念品なども承っております。
「名前の詩」ってナニ?
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お店や店主の名前を詩に
大切な人のお店の名前(屋号)やお名前を頭文字にエピソードなどを織り込んだ詩をお創りします。
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オリジナルの額
ずっと飾れる様に思い出をいつでも見れる所に、名前の詩をオリジナルの額に収めています。
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手漉き和紙
手漉き和紙職人が一つ一つ心をこめて漉きあげるこだわりの和紙です。
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日付・名入れ
開店日・お誕生日や記念日などお好きな日付や贈り主様のお名前をお描きします。
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手描き墨彩画
消防士の退職記念ギフト関係の絵と縁起の良い絵や生まれ年の干支の絵を手描きします。
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手描き文字
モノより心の豊かさを求め優しい温もりと味わいのある手描きにこだわっています。
あなたのお祝いの言葉を和紙に手描きして包装しお届けいたします
お客様を想いを詩に変え、一文字一文字想いを綴り、お客様の笑顔を想像しお創りします。
優美な木目の額(中)
25,300円(税込)
外寸:487×337×25(mm)
重さ:1.2 (kg)
詩にするお名前文字数 : 9文字まで≪優美な木目の額≫
天然木の木目の美しさと色合いに個性を醸し出す優美な額は、それぞれの木目を活かした逸品です。
吟味した天然木をアルプスの麓、長野は木祖村で一つ一つ手作りしています。
(外寸:487m×337mm×25mm、重さ:1.2kg)※色味、木目は一点一点に表情豊かな違いがあります。
赤枠の額(中)
23,100円(税込)
外寸:490×340×15(mm)
重さ:1.5 (kg)
詩にするお名前文字数 : 9文字まで≪赤枠の額≫
光沢を抑えた重厚感のある赤色です。額縁が5cmと幅が広く、名前の詩額が目に飛び込んでくる存在感があります。
ポリウレタン樹脂コーティングをしており汚れに強くお手入れも簡単です。
(外寸:490 × 340 × 15mm、重さ:1.5kg)光の反射を抑えた、奥深い赤色!
高級感があり、還暦祝いに最適です。
木枠の額(中)
18,700円(税込)
外寸:460×310×17(mm)
重さ:0.8 (kg)
詩にするお名前文字数 : 9文字まで≪木枠の額≫
額メーカーに特別注文で作っていただいているオリジナルの額。名前の詩の人気商品!!
和室、洋室どんな部屋にも合う、落ち着いた表情の木地が温かい感じを醸しだす額絵です。
(外寸:460 × 310 × 17mm、重さ:0.8kg)天然木を使用しています。
木目を生かしており、温かい雰囲気の額です。
消防の歴史
- 江戸時代
戦国時代の戦乱が治まり、徳川幕府による治世が続きました。都市の繁栄に伴い、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど火事も頻繁に発生しました。江戸時代の火消組織は、武家火消と町火消に大別され、定火消は公設消防、町火消は義勇消防の元祖と言われます。 - 明治時代
明治維新に伴い、定火消や大名火消は廃止になりましたが、町火消は東京府に移管され、明治5年「消防組」に改組されました。消防事務は、東京府、司法省警保寮、東京警視庁等と所管が転々としましたが、明治14年警察、消防の事務はいっさい東京警視庁に移管となり、これが明治時代の消防の基礎になりました。しかし、まだ全国的には公設の消防組は少なく、ほとんどが自治組織としての私設消防組であり、それも名前だけというのが多かったのが実情でした。そこで政府は、消防制度を全国的に整備して効率的な消防組織を育成するため、明治27年勅令で「消防組規則」を制定し、消防組は知事の警察権に入り、費用は市町村の負担とされました。 - 大正時代
消防組は、国内治安を担当する警察の補助的な役割も果たしながら急速に整備されていきましたが、常設の消防組織は、東京と大阪にあるのみでした。そこで、大正8年勅令「特設消防署規程」により京都、神戸、名古屋、横浜の4都市にも公設消防署が設置されました。 - 昭和時代(戦前)
昭和に入ると、国際情勢の変化、時局の切迫に伴い、国防上重要な都市の消防体制を強化するため、各都市に順次、公設消防署が設置されていきました。その一方で、消防組は、従来の水火災の鎮圧という主任務のほか、新たに「防空」という任務が加えられることになり、昭和14年勅令「警防団令」により、消防組は「警防団」と名称を変え、防空監視や空襲爆撃下の救護活動の任務も担うことになりました。 - 昭和時代(戦後)
敗戦に伴い、昭和22年勅令「消防団令」により、警防団という戦時体制の消防は「消防団」として再出発することになりました。我が国の消防は、明治以来、警察機構の中にありましたが、憲法が変わり、新たに「地方自治法」が施行されたのに伴い、昭和23年(1948年)「消防組織法」により、市町村長が消防の組織と運営の管理に当たることになり、名実ともに「自治体消防」に移行しました。昭和38年には、救急業務が法制化され、救急体制の整備が始まりました。また、昭和40年代以降、常備化が進められるとともに、一部事務組合方式や事務の委託方式を活用して、数か市町村単位でまとまった消防体制をとる広域化も進められました。消防体制も着実に整備が進み、国民の安心、安全に大きな役割を果たして来ました。 - 平成以後
平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、戦後最大の災害となりましたが、消防にとっても大きな教訓を残しました。兵庫県北淡町のように消防団が地域の人達と協力して、生き埋めになっている人達を救い出すというケースも多く見られました。このように、大きな災害になればなるほど、地域の人達が協力して自らを守るということが大事なこと、また、消防団の役割が重要であることが、再認識されることになりました。さらに、大規模災害の際には、地域の消防力だけでは対応できず、広域的な応援が必要となることも痛感させられました。このため、全国的な広域応援の仕組みとして、緊急消防援助隊が創設されました。緊急消防援助隊は、平成16年には消防組織法が改正され、消防庁長官が緊急援助隊の出動のため必要な措置を指示することが出来ることとされました。平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、広範囲にわたり地震、大津波、さらには原子力発電事故まで加わった未曾有の巨大災害となりました。このような災害の中、消防職団員は、水門閉鎖、避難誘導、救助、消火、捜索、被災住民支援等広範な活動を長期間にわたり実施し、その活動は、地域住民から高く評価されましたが、一方で、消防団活動をはじめとする地域の防災について、あらためて多くの課題が明らかになりました。公益財団法人日本消防協会ホームページより抜粋
退職の歴史
定年退職という制度が本格的に取り入れられ始めたのは平安時代のようです。当時の官僚(今の公務員です)の定年は70歳。当時の日本人の平均寿命は男性33歳、女性27歳位。そして貴族の20代以上の貴族の平均死亡年齢は60歳。そのため40歳を過ぎると老人とされました。また、60歳を過ぎた人は全体の5%程度しかいなかったとも言われています。
定年70歳という年齢ですが当時の寿命を考えると、ほぼ終身雇用。更に有力貴族の口添えがあれば延長も可能だったようです。鎌倉時代になると武士にも70歳を目安に規定が定められ始めます。一方農民は寄り合いや一揆に参加するのは15歳以上60歳以下までの男子と定められています。
江戸時代の天保期、奉公という立場から武士が自分では定年(隠居)を決められない時代でした。長生きして奉公するのが武士道だと考えられていたのです。
日本社会で現在のような定年が設けられるようになったのは、工業化が進んで雇用者が大量に生まれ始めた1920年代から。その時代に採用された定年は既55歳でした。その時代の平均寿命は男女平均で45歳程度で、退職後の老後生活は10年未満だったようです。55歳定年はあらゆる分野で採用され、1980年代迄続きます。